介護で後悔している事:気付けなかった

色々あるけれど

長期間介助や介護を行なっていると、良かったと思える事もあるし、当然後悔する事もある。

それを一つ一つ列挙して行くと私の精神がやられそうなので、辞めておく。

ただ、そんな中でもこれには早い段階で気付いて上げたかったと思う事がある。

妻の日記

以前、妻の意思確認が出来る頃にFacebookか何かでも掲載した事がある妻の日記。

中学時代からプリクラとデコレーションシールを織り混ぜながらチカチカ・クラクラする様な日記を付けていた様だ。

そんな日記は、私との交際そして同棲、結婚後も付けられていた。

2001年

ほぼ暗号だが、実物だと読めなくはない。

2006年

相変わらずの暗号。どう言うペンならこの大きさの文字が書けるのだろう。

2008年

ハンチントン病の初診から約半年後。

2009年

ここから急激に落ち込んでいる。

正確には、2008年の中頃から崩れ始め、2009年の始めの頃には劇的にペンの保持などが難しくなっている。

ハンチントン病の初診日から約一年半。

この2008年当時にこの潮目に気が付いていればもっと出来た事があったのでは無いかと悔やんでいる。

介護は結果論

先述の通り、私のやり方が最善でも最上でもない事は自覚しています。

ただ、幸いな事に多くの方のご協力を得て、今でも妻に近い場所で寄り添える生活を続ける事が出来ています。

私の過去は変えられませんが、これから取り組まれるご本人やご家族、医療関係者にとっての一つの道標になればと考えています。

心の

・時系列で見ると差が分かる。

・2010年まで書いているけど、途中で書く事を辞めている。

・アメブロとこっち。どちらに掲載しょうか迷った。

投稿者:

ハンチントン病の介護者

ハンチントン病を発症した妻との約束、【そばに居たい】と言う言葉を胸に約15年の自宅介護を継続中。いわゆる介護鬱にならない様に、心に5段階のスイッチを用意しています。最高?最低?の時は4つ目までスイッチが入った事があります。

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