ブログの引っ越し先が決まりました

引っ越し先:アメブロ

(仮)ハンチントン病の病名に笑った日から始まった

回想録から順番に上げ直しています。

こちらのブログの有料更新が終わってアクセスが出来なくなった時点で(仮)を取りたいと思います。

良ければこちらもご覧頂ければありがたいです。

ブログの引っ越し先は

1年間ブログを運営してみて、アメブロにお引っ越しする事にしました。

(仮)ハンチントン病の病名に笑った日から始まった

元々病気の周知度と家族会への道案内が主目的で、収益化が目的ではなかったので今考えると最初からアメブロで良かったなとジタバタしています。

WorldPress.comのデータも移行出来る様なので(写真や行間の修正は必要)、取り敢えずは既存記事を上げて行く作業と新規投稿を織り交ぜる事になりそうです。

引き続き宜しくお願い致します。

心の

・ブログ事情に詳しい知人からは今さら!って驚かれた。

・今のうちに新規投稿のネタを集めておかないと。

介護で後悔している事:気付けなかった

色々あるけれど

長期間介助や介護を行なっていると、良かったと思える事もあるし、当然後悔する事もある。

それを一つ一つ列挙して行くと私の精神がやられそうなので、辞めておく。

ただ、そんな中でもこれには早い段階で気付いて上げたかったと思う事がある。

妻の日記

以前、妻の意思確認が出来る頃にFacebookか何かでも掲載した事がある妻の日記。

中学時代からプリクラとデコレーションシールを織り混ぜながらチカチカ・クラクラする様な日記を付けていた様だ。

そんな日記は、私との交際そして同棲、結婚後も付けられていた。

2001年

ほぼ暗号だが、実物だと読めなくはない。

2006年

相変わらずの暗号。どう言うペンならこの大きさの文字が書けるのだろう。

2008年

ハンチントン病の初診から約半年後。

2009年

ここから急激に落ち込んでいる。

正確には、2008年の中頃から崩れ始め、2009年の始めの頃には劇的にペンの保持などが難しくなっている。

ハンチントン病の初診日から約一年半。

この2008年当時にこの潮目に気が付いていればもっと出来た事があったのでは無いかと悔やんでいる。

介護は結果論

先述の通り、私のやり方が最善でも最上でもない事は自覚しています。

ただ、幸いな事に多くの方のご協力を得て、今でも妻に近い場所で寄り添える生活を続ける事が出来ています。

私の過去は変えられませんが、これから取り組まれるご本人やご家族、医療関係者にとっての一つの道標になればと考えています。

心の

・時系列で見ると差が分かる。

・2010年まで書いているけど、途中で書く事を辞めている。

・アメブロとこっち。どちらに掲載しょうか迷った。

ブログ整理中

本数は少ないけど

ブロブの引っ越し先を探すのと並行して、全てを掲載するかどうかを精査しています。

他の方に比べれば、選ぶほど本数がある訳ではありません。

私がブログを開設して継続して中で、病気の苦しさや悲壮感を知って貰う事よりも大事にしている事があります。

ご家族の中で直面出来なかった方や今まで耳馴染みが無く、これから病気と付き合って行かなければならない方が検索された延長で見られた時に希望や可能性を見つけて頂ければと思っています。

これは、ブログ内に度々出て来る言葉なのです。

私自信が弱く忘れっぽい人間でなので、自分自身の指針の為に書いている側面もあります。

そう言う考えで運営していると必然的に内容が薄くなって当たり障りの際物になってしまうジレンマはあります。

ただ、『発病したパートナーには絶対寄り添うべき』や『私がやって来た自宅介護をした方がいい』と言った特定の方向に向ける様な強い言葉は使いたくありません。

何故なら、私は他人の人生まで責任を持てないからです。

正確には、妻を看ながらそれが出来るほど生優しい病気では無いからです。

少なくとも、そんな私が強い言葉で背中を押す様な無責任な事は出来ません。

そんな変な方に強い決意を笑う様に近寄って来るのが、病気であり病状の進行です。

残念ながら、こちらが歩みを止めても思考を止めても近寄って来るし、背後から抜き去り病気が私たちを置いてドンドン先に行ってしまいます。

そして何時からか、私たちが病気を追いかける様な日々になります。

何が前向きなのか、最善のなのか。その最善も誰にとって最善なのか全然分かりません。

私たちも、現状が誰の為の介護なのか。何の為の付き添いなのか。自問自答の日々です。

介護を続ける/続けないと書かれたサイコロを投げて、偶然にも続けるの目が15年連続で出続けているだけかも知れません。

明日から続けないの面が出続けるかも知れません。

そのサイコロの何面にどちらを書くのかは、その人次第。

残念ながら、私の人生というペンでは書くことが出来ません。

だから、無責任な事は書きたくはありません。

ただ、消しゴムで消せて、薄ーく下書き出来る鉛筆の様なブログにしたい。

の声

・途中で着地点を見失った。

・コイントスにしようと思ったけど、2面じゃ無いもんなぁ。

・溜まっている下書きを見て、自分への戒め回。

ブログを引っ越したい

一年ぐらいブログ運営してみたけど、ここから引っ越したい。

ここって有料制限ばかり。

収益化は考えていない(そんな内容では無い)のに高いプランに入らないと厳しいし。

動画も貼れないし。

デザイン変更も制限あるし。

不具合と言うか、癖が多いし。

正直、使いにくい。

私の周りには本格的にブログをやっている人はいないから独学中。

今からブログを引っ越しするならどこがいいんだろう?

どこかの優しくて詳しい人が教えてくれないかなぁ||д・) ソォーッ…

布団の共有

以前投稿させて頂いた、【 妻との日常(2020.04) 】で触れました妻に添い寝をしている部分を取り上げさせて頂きました。

本来は

自宅介護と言うとこの様に、

介護ベットに患者である妻1人。落下防止に柵を設置。起き上がりや歩行が出来るなら、拘束にならない様に1部開けておいたり。

妻の場合は褥瘡予防に特殊マット(エアマット)を使用しているので、私がマットに手置いて体重を掛ける事も故障や破損の原因になりそうで怖いです。

介護経験者にビックリされる

ただ、私たち(強調:私だけでは無い)は寂しがり屋なので、なるべく枕を並べたいと思っています。

既に介護を経験されている方は、介護臭などをご存知だと思います。

これに関しては、私の感覚が麻痺してしまっているのか元々気にしない性格なのか判りませんが、あまり気になりません。

また、妻が患っているハンチントン病は不随意運動があるので、睡眠が浅くなると手や足が動き出してしまいます。

その為、添い寝をしていると付き添いの私の身体に手や足が当たり私も眠りから覚めてしまいます。

が、これも慣れなのか麻痺なのか次第に気にならなくなり、自然と避ける術と距離感を身に付ける事が出来ました。

なので、写真の様に全介助になった今でも妻と布団を共有しています。

特に冬場は寒いので、掛け布団とその上に掛ける毛布を共有する事が多いです。

ただ、防水シーツなどを活用して汚染防止の処置は行ってはいます。

私の寝床

先程も書きましたが、特殊マットに妻が寝る以外の力が加わる行為は怖いです。

その為、妻のそばで寝るにはその高さに合ったベットが必要になりました。

また、介護スペースと緊急時の搬出スペースも確保しなければならないので、据え置きベットでは無く折り畳みが出来る物を選びました。

現在使用している物は、アイリスオーヤマ様の 折りたたみベッド コンパクト 14段階リクライニング (OTB-MN) です。

このベットの高さだと低床ベットの最低位置に近く、幅も70cmなので場所も取りません。

狭いと思っていた時期は、片足だけ妻のベットに入れさせて貰っていました。

掛け布団は、 丸洗いが出来るダブルサイズ を横にして使用しています。

妻の不安を取り除く為、私の不安を和らげる為。出来る限り続けて行きたいと考えています。

心の声

・妻の介護度合が低い訳では無い。考え方・捉え方・優先順位の違い。

・何を当たり前にするのかは、それぞれが考える事。

妻との思い出を紡ぐ:カラオケ

何かあると行っていました

同棲時代から妻とはよくカラオケに行っていました。

2人とも特別上手い訳ではありませんが、私たちの高校時代にカラオケボックスを利用する事が当たり前になり始めた頃でした。

妻がハンチントン病を発症して以降は、発音や自分でやりたい事を訓練する意味でも利用する様になりました。

暇なら行って、喧嘩の仲直りにも行って、夜寝つけなくても行って、今は病院の帰りに雰囲気を味わう為に行く事もあります。

妻が歌えなくなっても

残念ながら、病状が進行した妻の現状では今までの様に歌を歌う事が出来ません。

しかし、妻が気に入っていた楽曲やよく選曲していた曲は記録してあります。

何より、妻が歌っていた姿と併せて記憶しています。

なので、妻が歌えなくても楽しめる様に私が妻のお気に入り曲を歌う様になりました。

今まで一緒に行っていたカラオケボックスと言う環境で、自分が知っている曲が流れると楽しい様です。

今では自宅で

車イス生活に加えて、最近の新型コロナの騒動でなかなかカラオケボックスに行く事が難しい状態になりました。

そこで、ニンテンドーswitchでカラオケが出来るソフトが以前から準備されているので、それを活用する事にしました。

このソフトと、switchの充電を行う際に使用するドッグに接続するUSBマイクを取り付けて歌う事が出来ます。

インターネットを経由しているので、最新曲も随時更新されています。

また、簡単な採点機能も準備されている様です。

元々、自己満足&2人満足でしか利用していないので、この採点機能がどれぐらいの精度なのかよくわかりません。

これのお陰で、妻はベット上でカラオケの雰囲気を味わえる様になりました。

今後も時期が来れば、カラオケボックスには連れて行こうと思っていますが、これはこれで便利です。

心の声

・妻の歌を練習し過ぎて、女性が歌っている曲の方が点数が高い。

・曲数を重ねると、自然に声が大きくなるので注意。

イルミネーション見学

妻が教えてくれた

交際当時から二人で楽しみにしていた事がある。

冬に各地で行われるイルミネーション巡り。

私自身は寒いのが苦手だったので、最初のうちは乗り気では無かった。

しかし、色々と見比べて行くうちに楽しいを覚えていった。

妻と一緒に見たい

車イス生活になり、寝たきりになった妻と今でも一緒に見たいと思う。

自分1人で見に行き、写真を撮影した物を妻に見せるのでは意味が無いと私は思っている。

だから、妻と一緒に見たいと思う。

最初の頃は抵抗があった妻の服をコーディネートや買いに行く事も、こう言う事を続ける事でハードルが下がった。

ピントをどちらに合せるか

妻と行った記念だが、あくまでもメインはイルミネーション。

妻は、おまけ。

だから、こんな写真でも大満足。

けど、これじゃあ寂し過ぎるので、ピントを調整して撮り直し。

当時、手を暖める意味でも傍らに置いていた熊も一緒に。

人目が多い所で自撮りをする勇気が湧かなかった時期なので、ツーショットは無し。

ここ2年は雨に当たってしまい、観に行けていない。

普通の人なら思い立った時に行けるけど、私たちにとっては大ごと。

出来る限り、続けている事は減らしたくない。

形は変わっても続けたい。

妻が嫌だと言ったら止めるけど、可哀想だからと言う理由では止めたくない。

妻は喋れないから、コロナが収まれば年末にまた行きたい。

心の声

・事前準備と厚着が必要なので、準備に2時間は掛かる。

・大規模な所は、ケーブルの後始末含めてバリアフリー化されている。

お願いしている側から出来る事

前置き

今回は、特に妻の現状を基にした考えを書いています。

勿論、妻のリスクと認知症に代表される徘徊リスクや攻撃的な性格変化・妄言と言った付き添い者に負担が多いケース、妻以上のケアを自宅で行っている方が居られる事は十二分に理解しておりますし、その苦労は私も通って来た上です。

今後の自宅介護

介護を続ける上で、多くの方のご支援無くしては成り立ちません。

自分で出来るケアも第三者のご支援を頂く事で、自分の時間に変える事が出来ます。

これは、介護鬱を予防する上ではとても大切だと言われていますし、私も実体験からそうだと思います。

裏返して、平時では防疫や予防などを必要以上に考える必要が無い方々まで現在は気を回さなくてはいけない状況が続いています。

残念ながら、現時点では今後の見通す事は困難で、生活の中に不安が蔓延しています。

そんな状況下では、残念ながらご支援を期待する事は難しいです。

私は、ご支援を頂くには支援をして頂いている側に余裕が無ければ幾ら声を上げても無駄だと思っています。

水が無い人に水を下さいと言っても無い物を分け与える事は出来ません。

この様な状況でも懸命に妻の様な寝たきりの方々の命を繋ぐ活動を続けて頂いている事はとても感謝しています。

ただ、その感情とは別に今まで以上に依存するのは危険だとも考えています。

これまで起こった動きを考えると、私達が感染しなくとも施設・事業所ごとケアがストップしてしまう可能性は十分考えなくてはなりません。

そんな状況で、ご支援にケアの割合を増やす事はかなりリスキーだと感じています。

個人的には、私の介護100%から35%を受け持って頂いていると思っています。

この35%は数字としては少ないと感じられるかも知れませんが、専門的なケアが多く私では躊躇してしまう事が多く含まれています。

その35%も、感染リスクが高くなれば事業所閉鎖となってしまえば0%になります。

最悪、長期間の閉鎖で事業所自体が辞められてしまう事まで考えています。

対策と心構え

現在、訪看さんなどに対して日常ケアの度合いを下げています。

その代わり、私では判らない状態変化や褥瘡予防、怪我の予防に時間を使って頂く様にしています。

また、外出規制などで自宅に居る事が多くなったので今まで行う機会を減らしていた排便コントロールやベットメイキングの作業をおさらいも兼ねて増やしています。

そして、気になる事があれば細かい事でも投げかけて訪看や往診担当医から意見を聞く機会を増やしています。

残念ながらこの考え方は、既に感染者が増えてリスクが現実化している地域では対応方法を模索する事すら個人レベルでは不可能となっていると思います。

これも個人的な考えですが、今までお願いしていたケアの中から無理のない範囲で少し内容を軽減してあげれば、複数件の時間が蓄積して訪問サービスの予防・防疫・手が必要な方への時間確保が出来る様になるのではないでしょうか。

依頼している介護者側から出来る協力もあると思います。

幸いな事に、私達の地域では往診や訪問サービスは平時と変わらず継続されてはいます。

しかし、どこで感染リスクが湧いて来るのか分からない事が本当に恐ろしいです。

今は、免疫と併せて心の在り方、身構え方を考える猶予を貰っていると考えています。

その時間を有効に使いたいです。

心の声

・自分達の所に来ないとは、まったく思っていない。明日かも知れないし、今日かも、数時間後かも。

・信頼していない訳では無く、むしろ信頼しているからこそ私が出来ない部分をお任せしている。

・偽善?大いに結構。私は、本気でそう考えて既に動いている。

介護は双方向

自分の思いは相手に届いている?

私たちは、上手く行った事や長い目で見たら失敗だった経験をお伝えする事は出来ても、無責任に私がこうだったからこうなる・こうした方が良いとは言えない。

そんな中で、介護を通して妻と向き合って来て思うのは、一方通行の思いでは今日まで続けて来られなかったと言う事。

そばに居て欲しい/離れたい

離れて欲しい/そばに居たい

AよりもBが心配

BよりもCが心配

以前も書きましたが、当事者は妻であって私ではありません。

私がどんなに理解したつもりでも、別の病気で妻と同じ状態になっても解りきれないと考えています。

意識疎通が無くなった今でも、その前提は意識しながら代理として担当医や訪問介護、行政担当とはお話しをさせて頂いています。

不安や心配事の共有は大事だと信じています。

今の時点で何が不安を知る事で『それならこうしたら、ここまでなら出来ると思う』や『それよりも、私はこっちの方が嫌かも』と正面から向き合う時間を作る事が出来ました。

私が1番身構えていた他の人には出ている症状が妻には目立って現れなかった事もありました。

逆に年数が経つ事で治ると思っていた症状が長引いて思わぬリスクを生じてしまう事もあります。

その時に話し合って結論が出る訳ではありません。

また、出よう筈がありません。

だからこそ、相手との接点を日々探すしか無いと思います。

これは、介護だから病気だからでは無いと思います。

妻との取り引き

妻には、辛い思いはして欲しく無いしそれで嫌われたく無いけど施設よりかは出来る限り一緒に居て欲しいと言われました。

私は妻が出来る範囲の予防やリハビリを頑張るならとその希望を受け取りました。

そして、全介助になるまでの期間、頑張ってくれたので今はそれに報いています。

妻と私が思う精一杯や目一杯は違うと思います。

ならば、私の精一杯は私に決めさせて欲しい。

私の精一杯は、日によって違います。

器から溢れる日もあれば底が抜けているみたいに余裕な日もあります。

向き合う態度は違いますが、それは妻には関係無い話しです。

心の声

・病気関係無く妻のそばに居たいから居る。

・どう看取ってあげたいかは考えるけど、待ち望んでは居ない。居ないと思う。居ないんじゃ無いかな。